松尾芭蕉が教えてくれたこと ~本質は自ら学ぶしかできない~
『古池や蛙飛び込む水の音』
この松尾芭蕉の句は有名ですが、
ある人物が付けた下の句があるのはあまり知られていません。
これが下の句が付いたものです。
『古池や蛙飛び込む水の音、淋しくもあるか秋の夕暮れ』
どうでしょう。
下の句を付けたことで、より情景が目に浮かび易くなったと思いませんか?
つまり、理解し易くなったのです。
しかし、同時に、困ったことが起きました。
この下の句を付けた人物が考えた情景で、
読者の想像が固定されてしまったのです。
松尾芭蕉は、おそらくあえて下の句を付けないことで、
読む人の想像をかき立てようとしたのかもしれません。
しかし、『古池や蛙飛び込む水の音』
この一文から広く発想できたはずのイメージが
無くなってしまいました。
これは、古典や歴史書を読む際に私が気を付けていることですが、
興味のとっかかりは、別の人が解説を付けた分かりやすい本、
もっと言えばマンガなどでもかまいません。
しかし、その分かりやすい本、やマンガでは、
別の人の独自の『思考・解説』が加わっていることは否めません。
そのため、本来の著者が伝えたかった内容が、
別の人のフィルターを通したことで固定化されてしまい、
本質の一部しか伝わっていないことになるのです。
そのため、古典に興味を持った後は、原文を、もし無い場合は
できるかぎり原文に近いものを読み、原文の作者の意図、考えに触れないと、
その真意と、思考の広がりが制限されてしまいます。
ご注意ください。
なお・・・今、ちまたで読まれている『孫子』ですが、
あれは、原文ではないという説があります。
実は・・三国志で有名な『曹操』が難解だった孫子を
分かりやすく編集したそうです。
しかし、現存している孫子がすでに曹操が編集したものなので、
おそらく本当の原文を読むのはもう不可能なのでしょう。。
本質を突いた本は一般的に漠然としており、
個別具体的なことが書かれていることはまれです。
しかし、何度も読んで、実践を繰り返すなかで、
自分なりに本質に近付けるようになってきます。
つまり、本質に近づくにはやはり実践の中で、
思考錯誤しながら揉まれるしかないのです。
それが、皆さんの事業を成長させる一歩となります。
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[まとめ] 本質は自らの試行錯誤の中でのみ掴める。
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